サンボンリボン『14歳のサマーソーダ』の考察とか空想とか。
身内しかアクセスしていないって薄々感づき始めた一般学生。
別にいいもんね。おまえらにナナシスの魅力を一ミリでも知ってもらえるんなら、この記事を書くのだってやぶさかじゃねぇ。
今回はサンボンリボンの『14歳のサマーソーダ』。魚屋の三姉妹が組んだ、とってもキュートでどこか切ない、不思議な安らぎを与えてくれるユニットです。
では、郷愁の夏を振り返っていきましょう。どきどき。
急に降り出した雨に
濡れたフラッシュバック
喉が渇いて 埃っぽくて
何もないあの街みたいだ
文章を見れば、その人の技量が分かる。もちろん一概には言えませんが、僕はこの歌詞をしょっぱな見たとき「ああ、只者じゃないわこれ」って思いました。歌詞って限られた文字数のなかで、最大限に伝えたい情景を描写するわけです。ナナシスの歌詞は不思議と、それが手に取るように感ぜられます。
もうお気づきですか?ナナシスはほんとうに、季節に関する語を織り交ぜてくるのが大好き。この曲も、言うまでもなく季節がテーマですよね。
この物語は、やっぱり主人公の「現在」から始まっていきます。夕立に打たれて、思い出がにわかによみがえってきた。『STAY☆GOLD』の始まり方に似ていますね。
思い出の先は「夏」。田舎のおばあちゃんちに行って、親戚の子供たちと遊んだりするでしょう。それは確かに楽しいイベントですが、引き立って印象深いものでもありませんね。思い出に優先度があるのなら、やや埃をかぶったメモリーかな。
君に言えなかった言葉は
まだ消えないで夏が来るたび
泡のようにフッと湧いてくるよ
わぁー。ここでテーマがくっきりと見えてきました。
主人公はふと雨に打たれたことをきっかけに、ある夏の恋を思い出してしまった。泡のように湧いてくる……勘のいい方ならもうお分かりですね?そう、サマーソーダとかけています。
待って ロンリー・フォーティーン・ソーダ
解き放ってよ 空き缶の表面
伝う夏雫(なつしずく)が映してたヘブン
だって ロンリー・フォーティーン・ソーダ
忘れないよ 夕立ちが痛かった
わざとらしくカタカナ表記なのが憎めないですよね。14歳の歌ですから。
ひとりぼっちの、14歳のソーダ。ソーダは狭義には炭酸ナトリウムを指しますが、もちろんその意味ではありません。サイダーですね。夏に飲むサイダーはうまい。
もちろん、思い出は逃げません。でも大きくなったら、残念ですが記憶は削げ落ちてゆきます。大切な記憶をそのまま、いつまでも保持できることはないのです。
空き缶の表面に伝う夏雫が映してたヘヴン。
なんでこんな歌詞が書けるのか聞いてみたいですね。想像するのが難くないでしょう。冷たいサイダーを飲み干した後の空き缶。その表面に伝う雫――そこに写された景色は、まぎれもなく本物の「あの夏の日」なのです。青空に浮かぶ入道雲も、風に揺れて音色を奏でる風鈴も、すきま風が吹き抜ける縁側も。今はもう取り戻せないあの日は、まさにヘブン=天国のような景色だったのです。それを思い出して、切なさをしみじみと噛みしめる。その感情は夕立に打たれる感覚と同化されて、主人公の心に表出してくるわけですね。
どうですか。とても素敵で切ないと思いませんか。
この後にも素晴らしい歌詞がたくさんあります。
エッッッッッッッッッモ!!!!!!!!
履きなれて型も付いたスニーカーでしょうか。昼下がりか、あるいは夜の夏祭り。せわしなく二人で歩き回って、おいしいものをたくさん食べて。ちょっと休憩したときに、しっかりと結んでいたはずの靴紐がほつれていました。それは、一緒に過ごした時間の経過を示すサインでもあります。きっとニヤニヤしてたんじゃないでしょうか。
でも、今は覚えていません。靴紐に宿っていたはずの思い出は、もうそこにはないのですから。
これが締めの歌詞に当たります。はぁ。なんだよこれ。もう夢男子になるしかねぇよなぁ!?
突き抜けるような青空、それはとても高くて爽やかで、心地よいものです。ノスタルジックな体験ですね。
そしてダメ押しの一句『君だけが夏だった』。きっともう主人公はどうやったって、思い焦がれた人には会えないのでしょうね。四季の一つである夏と、彼のことを重ね合わせる。それだけ大きな感情を、主人公は抱いてしまって、まだそれを完全には捨てきれていない。夏が来るたびに、そうやって思い出してしまうくらいには……。それなのに、あの日のことはよく思い出せないんです。
うー、切なくて悲しい気持ちになってきました。でもこれ、メロディはすごく明るい曲なんですよ。だからもう、なんですかね、より一層気持ちが揺るがされるというかね。
今回は記事だから、ギリギリ語彙力を保っているオタクモードになって書きました。普段は「エモ!!!」ぐらいで聴かせていただいております。
次はいいかげんデレマスで書こうかしら。