サンボンリボン『14歳のサマーソーダ』の考察とか空想とか。
身内しかアクセスしていないって薄々感づき始めた一般学生。
別にいいもんね。おまえらにナナシスの魅力を一ミリでも知ってもらえるんなら、この記事を書くのだってやぶさかじゃねぇ。
今回はサンボンリボンの『14歳のサマーソーダ』。魚屋の三姉妹が組んだ、とってもキュートでどこか切ない、不思議な安らぎを与えてくれるユニットです。
では、郷愁の夏を振り返っていきましょう。どきどき。
急に降り出した雨に
濡れたフラッシュバック
喉が渇いて 埃っぽくて
何もないあの街みたいだ
文章を見れば、その人の技量が分かる。もちろん一概には言えませんが、僕はこの歌詞をしょっぱな見たとき「ああ、只者じゃないわこれ」って思いました。歌詞って限られた文字数のなかで、最大限に伝えたい情景を描写するわけです。ナナシスの歌詞は不思議と、それが手に取るように感ぜられます。
もうお気づきですか?ナナシスはほんとうに、季節に関する語を織り交ぜてくるのが大好き。この曲も、言うまでもなく季節がテーマですよね。
この物語は、やっぱり主人公の「現在」から始まっていきます。夕立に打たれて、思い出がにわかによみがえってきた。『STAY☆GOLD』の始まり方に似ていますね。
思い出の先は「夏」。田舎のおばあちゃんちに行って、親戚の子供たちと遊んだりするでしょう。それは確かに楽しいイベントですが、引き立って印象深いものでもありませんね。思い出に優先度があるのなら、やや埃をかぶったメモリーかな。
君に言えなかった言葉は
まだ消えないで夏が来るたび
泡のようにフッと湧いてくるよ
わぁー。ここでテーマがくっきりと見えてきました。
主人公はふと雨に打たれたことをきっかけに、ある夏の恋を思い出してしまった。泡のように湧いてくる……勘のいい方ならもうお分かりですね?そう、サマーソーダとかけています。
待って ロンリー・フォーティーン・ソーダ
解き放ってよ 空き缶の表面
伝う夏雫(なつしずく)が映してたヘブン
だって ロンリー・フォーティーン・ソーダ
忘れないよ 夕立ちが痛かった
わざとらしくカタカナ表記なのが憎めないですよね。14歳の歌ですから。
ひとりぼっちの、14歳のソーダ。ソーダは狭義には炭酸ナトリウムを指しますが、もちろんその意味ではありません。サイダーですね。夏に飲むサイダーはうまい。
もちろん、思い出は逃げません。でも大きくなったら、残念ですが記憶は削げ落ちてゆきます。大切な記憶をそのまま、いつまでも保持できることはないのです。
空き缶の表面に伝う夏雫が映してたヘヴン。
なんでこんな歌詞が書けるのか聞いてみたいですね。想像するのが難くないでしょう。冷たいサイダーを飲み干した後の空き缶。その表面に伝う雫――そこに写された景色は、まぎれもなく本物の「あの夏の日」なのです。青空に浮かぶ入道雲も、風に揺れて音色を奏でる風鈴も、すきま風が吹き抜ける縁側も。今はもう取り戻せないあの日は、まさにヘブン=天国のような景色だったのです。それを思い出して、切なさをしみじみと噛みしめる。その感情は夕立に打たれる感覚と同化されて、主人公の心に表出してくるわけですね。
どうですか。とても素敵で切ないと思いませんか。
この後にも素晴らしい歌詞がたくさんあります。
エッッッッッッッッッモ!!!!!!!!
履きなれて型も付いたスニーカーでしょうか。昼下がりか、あるいは夜の夏祭り。せわしなく二人で歩き回って、おいしいものをたくさん食べて。ちょっと休憩したときに、しっかりと結んでいたはずの靴紐がほつれていました。それは、一緒に過ごした時間の経過を示すサインでもあります。きっとニヤニヤしてたんじゃないでしょうか。
でも、今は覚えていません。靴紐に宿っていたはずの思い出は、もうそこにはないのですから。
これが締めの歌詞に当たります。はぁ。なんだよこれ。もう夢男子になるしかねぇよなぁ!?
突き抜けるような青空、それはとても高くて爽やかで、心地よいものです。ノスタルジックな体験ですね。
そしてダメ押しの一句『君だけが夏だった』。きっともう主人公はどうやったって、思い焦がれた人には会えないのでしょうね。四季の一つである夏と、彼のことを重ね合わせる。それだけ大きな感情を、主人公は抱いてしまって、まだそれを完全には捨てきれていない。夏が来るたびに、そうやって思い出してしまうくらいには……。それなのに、あの日のことはよく思い出せないんです。
うー、切なくて悲しい気持ちになってきました。でもこれ、メロディはすごく明るい曲なんですよ。だからもう、なんですかね、より一層気持ちが揺るがされるというかね。
今回は記事だから、ギリギリ語彙力を保っているオタクモードになって書きました。普段は「エモ!!!」ぐらいで聴かせていただいております。
次はいいかげんデレマスで書こうかしら。
μ's『僕らのLIVE 君とのLIFE』の考察とか歌詞とか。
勉強をすっぽかして記事を書く一般学生。まあ初日だからね、しょうがないね。
この記事を書いた1月19日は、ラブライブ!フェスの二日目が開催されていました。
そのことにちなんで、ほとんどμ’sの曲を知らない僕が、たとえ一億年と二千年の時を経ても推せるであろう神曲『僕らのLIVE 君とのLIFE』を取り上げていこうと思います。
とにかくこの曲はメロディが好き。最後にだいすき、って二回言うとことかほんと大好き!
そんじゃあ、ぼららら(←略称らしい)の世界を覗いてみるとしよう。
確かな今よりも新しい夢つかまえたい
大胆に飛び出せば O.K.マイライフ
いいですねえ。今に満足することなく、新たな夢を叶えるために大きな一歩を踏み出す。こういう野心的でエネルギッシュなところが、ラブライブ楽曲の特徴ですね。スクールアイドルに青春はつきものだ。
望みは大きくね
背のびだってば 高く遠く
まぶしいあした抱きしめに行こう
全部叶えよう
……ん?
これ、よく見てみてください。「背伸びだってば」「抱きしめに行こう」「叶えよう」――これはすべて、二人称(あなた)に向けた表現ですね。つまり「私が」「あなたに」誘っている構図です。
言わずもがな、僕は応援ソングが大好きです。アイドル達が「あなたを」応援する歌が。
でも、この曲を歌っているのは9人のスクールアイドルです。
「あなた」の対象となりうる人物はたくさんいます。穂乃果から見たら、まず8人。それから、ステージの先にいるお客さんたち、そこにはいないけど応援してくれているみんな。
「あなた」に見せかけて、その実自分自身に問いかけるようにも歌っているんですね。序盤で「マイライフ」って思いっきり歌い上げてます。
そうだよ 信じるだけで
ぐんぐん前に進むよ、君が!
エモい!なにがエモいってさ、「君が!」っていうのを最後に持ってきてるところ。
倒置の用法は、使い方によってエクスカリバーにもなるし紙くずにもなります。ここはマジでエクスカリバー級に効いてると思う。
答えなくていいんだわかるから
胸にえがく場所は同じ
何度でも諦めずに 探すことが僕らの挑戦
ここはやっぱりメンバーそれぞれに向けられた想いの結晶、と捉えたほうがすんなりいきますね。スクールアイドルという大胆すぎる野望は、何度も高い壁を拵えました。でもそのたびに、諦めず突破口を探していきます。
元気の温度は下がらない
熱いままで羽ばたいてく
あこがれを語る君の
ゆずらない瞳がだいすき…ダイスキ!
ここはメンバー的には穂乃果に向けたものでしょう。スクールアイドルをやりたい!という熱い情熱が、最初はばらばらだった9人をまとめあげ、ラブライブという大きな目標に向かって突き進む彼女たちの心の土台を築き上げたのですから。
でも、もちろんそれだけじゃない。この曲を聴くすべての人々が「君/あなた」に成りうる、『僕らのLIVE 君とのLIFE』でした。
今回はこのへんで。
これだけは言いたい『ナナシス』楽曲の本当の良さ。
オタクムーブが激しい一般学生。
とりあえずこれだけは言わせていただきたいのです。
結局『ナナシス』の楽曲って何が良いのよ?
答え。全部。
……これでこの記事終わっていいかな?ダメですよね。じゃあ思いのたけ手渡すように書きますか!
ナナシスここが良いよトップ3
①テーマが良い
②メロディが良い
③歌詞が良い
大雑把すぎませんかねぇ!?まあ確かに。
①テーマが良い
僕は二次ドルファンなんでいろいろなコンテンツを齧っては放置を繰り返しているわけですが、ナナシス楽曲がまず他を圧倒するのが「テーマ」ですね。
ユニットの曲こそそれぞれ方向性も違いますが、やっぱりナナシスの大きな筋は誰かの背中を押すこと、これに尽きる。
アイドルって(アイドルだけに限らないけど)、みんな自分主体なんですよ。二次ドルの曲いろいろあるけど、大体どれも同じですよね。アイドルの「私が」、恋する物語であったり、友情をはぐくむ物語であったり、大きな一歩を踏み出す物語であったり。
ナナシスはちょっと違う。アイドルの「私たち」が、「あなたの」恋や友情や大きな一歩を応援する物語が、そこでは歌われている。
なのでナナシス、とりわけ777☆SISTERS曲の歌詞には「キミ」という言葉が頻出します。ナナシスチャート式あったら1ページ目にでかでかと載るはず。マジびびるよ。
とにかくアツい歌詞の中で語られるのは、アイドルたちの精いっぱいの応援なんです。
②メロディが良い
まあぶっちゃけこれは好みの問題ですね。でもホントに、どの曲もメロディが素敵なんです。かわいらしいポップがあるかと思えば、セブンスみたいなバッチバチのキラーチューンもある。QoPみたいな強めのロック曲があると思えば、ちょっと背伸びした感が最高に推せるガールズバンド、4Uのある種オーソドックスな旋律だったり。
新しさと、馴染みやすさを兼ね備えている。やっぱりクリエイター陣が若いところも、感性の波長が合う一因なのだと思います。
③歌詞が良い
これですよこれ!マジでこれって声を大にして言いたい。
ちょっと前の記事でも述べましたが、ナナシス楽曲の作詞はほとんどPさんが一任しているわけです。作曲家はそれぞれ違うんですけど、作詞は同じなんですね。
これってすごいことで、どんな曲調でも的確な歌詞をあてられるっていうことなんですよ。ハードロックだろうがバラードだろうがポップだろうが。
そんで?出てくる歌詞は英詞造語ライムなんでもござれって?なかなか出来ないよそういうことは。ン~改めて考えるとすごいな、って思うなあ、Pは。
とにかく、愛が伝わってくる作詞なんです。多種多様な楽曲たちの一つひとつとしっかり向き合ったうえで、最適解を導き出している。だからナナシスの楽曲はぶれないんです。大きな筋をずばっと通して、それを一貫させる。
このPさん、その曲ごとに人格を変えてんのかってぐらい歌詞の舌触りを変えてくるんですよね。だからぱっと見は同じ人が書いたと思えないぐらい、バリエーションが豊富なんです。なのに破綻していない。世界観が統一されている。もうこれは舌を巻くしかないです、どんだけ天才なんだよと。
上質な小説の一節を読み上げるかのような歌詞が、あちらこちらに出てくるんです。なんでこんなに女の子の心情を器用に描ききることができるのか不思議でたまらない。
ナナシスは男性向けコンテンツとしては異例なほど、女性ファンの比率が高いと言われています。その秘密はここにあるんですよ。これほど切実に心象をメロディにのせ、変幻自在に表現できるクリエイターって、マジでこのPさんぐらいだと思います。作詞界の田中〇和と言わしめるほどですね(僕しか言ってないけど)。
てなわけで、とにかくナナシスを聴く機会があれば歌詞に着目してみてください。
きっと、ナナシスの良さが見えてくると思います。
それでは。
777☆SISTERS『STAY☆GOLD』の考察とか空想とか。
どうも、一般学生です。
この記事からいよいよ本題に入ります。とにかくオタクに言いたいことは一つだけ。
曲を楽しめ!!特に歌詞!!!!!!
ちゅうわけで開幕戦、振りかぶって投げた第一球は、例によってナナシスの曲です。
ちなみにメロディとかコードとかは専門的なことがまったく分からないので、耳ざわりが良いとか、これすきとか、その程度のことしか言いません。このブログはね、歌詞から筆者が妄想したあんなことやこんなことをただ垂れ流すだけです。
早速、『STAY☆GOLD』の世界を覗いてみましょう。
夕立ち降られて ちょっとだけ素になった
たまらず込み上げた想いは
小っちゃい頃に大きく手を振って
さよならした地図
「素の自分」を隠している人は多いと思います。僕も現実世界ではオタク属性を隠しがちですね。この物語の主人公はそんな低俗な隠し事をしてるわけじゃありませんよ。
幼い頃に夢見て、大きくなったら必ず成し遂げようと思っていた。誰だって、小っちゃい頃の夢って無限大じゃないですか。でもすぐにその夢を叶えることはできなくて。
子供から見る大人って、なんでもできる魔法使いみたいなものですからね。だから、大きくなるまでは、その夢にさよならを告げます。
ちなみに僕はヤドカリになることを夢見ていました。
小さな君の手 ちょっとだけ気になった
かすれてしぼんでた想いは
最初からきっとそこにはあって
出口を探してたんだね
夕立に打たれ、雨でふやけた両手を見て思い出します。その夢はずっと、この手の中にあったんだと。いまだかつての夢の残滓が、そこに眠っているのですね。
雨の日だって水溜まりの虹は
綺麗だってやっと気づけたね
時が経ち、かつて思い描いていたのとは違う自分が、水たまりに写りこんでいます。でも、そんな自分を受け入れている自分も、確かにそこにいます。背後に写りこんでいる虹は、なぜだか心を強く揺さぶってくる。
夢を追いかけたのは
誰かの足でじゃないから
数え切れない記憶が
ひとつずつ(きらめいて)
背中押すように夢を追いかけるのは
自分を信じてたいから
見上げた空の上には
あの日から(変わらない)
はにかむような虹
あの頃、叶うわけもない夢を追いかけたのはなぜだろう。
それはまぎれもなく、この物語が自分自身によって歩んでいくものだと分かっていたから。数えきれない記憶たちは、確かに歩んできた自分の足跡ですよね。
そして今、主人公は新しい夢を追いかけています。
これまでの足跡を信じていたい、その気持ちが、夢を追いかける自分自身をサポートしてくれる。
空にかかる虹も、言うまでもなく主人公を見守っている。それは小さい頃から自分を見守ってくれた存在。だからこそ、主人公は水たまりに写りこんだ虹に、強く心を惹かれたのですね。
たまに勘違いされますが、はにかむ=微笑むという意味ではありません。恥ずかしがるという意味ですね。虹が意思を持っていたら、ずっと見守っていた人がじっとこちらを覗き込んで感傷に浸っているわけですから、ちょっと気恥しいのかもしれません(笑)
いかがだったでしょうか。
もちろん曲の解釈とか千差万別ですし、そもそも上で書いたのは僕の妄想に過ぎません。とにかく、こういう曲の楽しみ方をしてる酔狂なオタクもおるもんだなぁ~ぐらいで結構です。
今回はこのへんで。
『ナナシス』は素晴らしいのに、なぜ思ったほど売れないのか?
はじめましての次から何を抜かしてるんだという感じですが。人の話を聞かずに自分の好きなことについてだけ語りたがるオタクの習性ですかね。日常生活ではそんな真似できないので、どうかネットの世界では好き勝手やることをお許しいただければと思います。
それと、最初の記事はなろう小説もビックリというくらい改行をしすぎたきらいがあるので、ちょっと詰め気味でやっていこうかな。
さて、みんな『ナナシス』って知ってるかな?もちろん、『ナナシス』は曲が良いことで有名だからオタクのみんなは知ってるよね。……というのは冗談にして。
『ナナシス』もとい『Tokyo 7th シスターズ』というコンテンツがあります。時は2034年、アイドル氷河期と呼ばれる時代に……長くなるので割愛するとして、ようはよくある”二次元アイドルゲー”です。かわいいキャラクターたち、魅力的な曲、そしてストーリー。『アイマス』『ラブライブ!』『バンドリ!』(ちょっと違うか)だとか、最近だと『Re;ステージ!』『22/7』など、いろいろありますよね。まさにアイドルゲー戦国時代の様相を呈してきたこの頃。
『ナナシス』は今から六年ぐらい前にスタートしています。『デレマス』が今やってるライブが7thですから、意外と足並みそろえてやってきてるわけですね。
『デレマス』の7thライブはドーム公演を含めたツアーです。『ナナシス』のライブ規模は昨年の5thが幕張メッセ。6thはどこでやるのかわかりませんが、きっとドームでライブをすることはないと思います。
コンテンツの大きさというか、広がりを見る指標はいろいろですが、やっぱり二次アイドルゲーはライブの規模を見たほうが早いです。そしてこの『ナナシス』の幕張メッセという規模はどうかと言いますと、ぶっちゃけかなり大きいほう。ドーム公演を行う『デレマス』や『ラブライブ!サンシャイン』には見劣りしますが、とても立派です。
しかし『ナナシス』は、幕張メッセでライブをするコンテンツにしては、売れていない。
原作ゲームも、CDも、お世辞にも売れている数字ではない。ほかのゲームとコラボもしないし、この業界ではマストなはずの「アニメ化」すら成し遂げていない。
あんまり言うと貶しているようであれですが、本当に利益を上げられているのか疑問に思うほど。僕もどうにかして売れてほしい、と何度も願ったコンテンツですが、どうも景気はよくないみたいです。
ナナシスは周知のとおり、とても魅力的な楽曲を持っています。キャラもかわいいし、ストーリーもしっかりと作りこんである。普通に考えて売れないのはおかしい!と僕の内なるオタク魂は叫びたい。でも『ナナシス』というコンテンツを知っていくと、なかなかバズらない理由が少しずつ見えてくるのです。
それは、
①プロモーションが弱い
②ゲームの定着率が悪い
③「きっかけ」になかなか巡り合えない
全部ただの持論なんですが、取り立てて見当はずれだと思われる方は少ないんじゃないかなぁと思っています。
①プロモーションが弱い
ナナシスはなかなか表に名前が出てこないコンテンツです。大本の会社が小さいので、それほど広告に回せるお金がないのでしょうが、まあCM見ませんね。たまーにネットの広告とかであったりもしますけど、まず「知らねえや」という人が多い印象を受けます。オタクやってたらアイマスラブライブは嫌でも耳にするけど、ナナシスって話題に出ることも少ない。知る人ぞ知るみたいなところがあります。
②ゲームの定着率が悪い
これはかなり致命的です。μ’sが文字通りゼロからの伝説を作り上げたのはどうしてでしょうか。それは『スクフェス』が爆発的な人気を生み出したから。同様にデレマスやバンドリが人気なのも、それぞれに『デレステ』『ガルパ』という強いタイトルを持っているから。二次アイドルにおいて、ともかく重要なのはゲームなんですね。
じゃあナナシスのゲームは、と言うと。
お世辞にもバズってません。やってる人もほぼ見かけないです。こうして書いてる僕も、ログインしかしてません。
コンテンツそのものが人気になるには、少なからず原動力が必要です。利益を生み出し、顧客を生み出し、展開を生み出すもの。二次アイドルたちにとってのそれは、まぎれもなく「ゲーム」なのです。
試しに触ってみる人がまったく定着しない。定着しないともちろん、人気には繋がりません。
③「きっかけ」になかなか巡り合わない
これは上二つにも通ずることですが、なかなかナナシスを知ってもらう、魅力に気付いてもらうきっかけが少ないんですね。いろんな人が「ナナシスのここがいい!」「ここがすごい!」みたいなことを言っていると思いますが、ほとんどの人は「ふーん、そうなんだ」ぐらいにしか気に留めていないんですね。
やはり数は力です。多くの人が寄り集まるところは、みんな大好きなんですよ。百人が「すごい!」って言ってるコンテンツと、十万人が「すごい!」って言ってるコンテンツ、みなさんだとどっちに行きますか? 九割は後者に行くと思います。僕もそうです。
現状のナナシスは残念なことに、数の力が足りません。たまにその魅力に気付いて情報発信を積極的にしてくれるファンが出てきても、やっぱり埋もれてしまう。どれだけロジカルにナナシスの素晴らしさを力説したところで、数の前にはてんで歯が立たない。
……とまあ、それっぽく理由を挙げ連ねてみたわけなんですが。
本当のところですね。ナナシスは「思ったほど売れない」わけじゃないんです。
ここまでベラベラ書いておいて何こいつ、と思われるかもしれません。でも僕が真に書きたいのは、ここからのことなんです。
ずばり、
ナナシスは積極的に売れようとはしていないし、なんなら売れなくてもいい(と、トップが判断している)
なんだそれ?と思う方もいるでしょう。
正直、ホントのところは売れたくて売れたくてしょうがないかもしれませんよ?僕の個人的な所感なので、まったくの見当はずれという可能性もないわけじゃない。
でもやっぱり、僕の目からしたら、ナナシスは「そこまで売れようとしていない」。
普通に考えたら、売れようとしない、なんてアリエナイですよね。自分がコンテンツの責任者だったら、どうにかしてこのコンテンツを成長させて、一山当てたい。そのために出来ることはなんだってする!と意気込むでしょう。
でも、ナナシスのプロデューサーは、アイマスやラブライブ、そしてバンドリ!のように、売れることを第一に考えていません。(※利益を出すことは、もちろん考えていると思いますが)
売れることを第一に考えない。だからこそ、今のナナシスがあるとも言えますけどね。
ナナシスのプロデューサーさん(以下、Pさん)は、メディアミックスに大変慎重なことで有名です。僕たちの見えないところでは、きっとたくさんのオファーがあったと思います。それはもちろん映像化だったり、コラボだったりするわけですが……Pさんはそのほとんどを、お断りされているみたいなんです。
メディアミックスといったら、金の生る木じゃないですか。話題の『鬼滅の刃』は、アニメ化によって原作の売り上げが何倍にも伸びて、今は単行本すら品薄の状態。アニメもまあいろいろ言われるんですが、本当に当たればデカいんです。
☆
あなたが、小さい企業でアイドルものの企画を任せられたとしましょう。どうにかゲームを配信するとこまで漕ぎつけ、さあこれからどんどんコンテンツを大きくするぞ、といった頃合いに、大手の企業からこんな依頼が来ました。
「あなたのやっているコンテンツを、ぜひうちに任せてください。アニメ化もさせますし、広告もバンバン打ちます。必ず売り上げも伸びますよ」
普通なら最後まで聞き終える前にうんうんって頷きますよね(笑)。僕もこんな機会はない!とか思って二つ返事すると思います。
でも、それは大きな罠でもあるんです。
あなたがその誘いに頷くと、そこからあなたのコンテンツは、あなたのものではなくなっていきます。
もちろん、あなたの意見は最大限に尊重されるかもしれません。しかしあなたは決して少なくないお金を受け取っています。それは大半が、コンテンツに対するロイヤルティーとして支払われるものだと思ってよいでしょう。
あなたに物事を決める権利はなくなりつつあります。いつしかコンテンツの主導権は相手に渡ってしまいました。あなたにお金は入り続けますが、手塩にかけたあなたのコンテンツは、知らず知らずのうちに、自分のものではなくなっていくのです。
☆
…とまあ、ちょっと大げさに盛りすぎてしまったところもあるわけですが。
コンテンツを持つ身として、そこは本当に大きな分岐点となるでしょう。売り上げが多少伸びずとも、コンテンツを大事に育てていくのか。あるいは、どこかの大手企業をバックにつけて、コンテンツそのものの爆発的な成長に賭けてみるのか。
ナナシスに関しては、間違いなく前者を選んでいる。そして結果的に、その「賭け」は成功しているんだと、僕は考えています。
というか、少し創作をかじっている身からすると、ナナシスのPさんはめちゃくちゃ勝ち組なんですよね。ナナシスのすべてを司るわけですから、誰にも邪魔されることなく、自分だけの世界を構築し続けていくことができる。そのうえ、そんなナナシスの世界に魅了されて、こんなくっさいブログを書いちゃうファンも付いてくるんですから、Pさんはニヤニヤだと思います(笑)
ナナシスのPさんは、ほとんどすべての楽曲の作詞に携わっています。また、ゲーム内のストーリーなどもすべて一人で考えているみたいなんです。
一人で考えるということの重要性。
みなさんも経験あると思います。みんなで何かプロジェクトをやるとしましょう。意見はなかなかまとまりません。とりあえず多数決で、一番よさげなものを通してみる。でもそういうものって、なかなか上手くいかない。所詮それは多種多様な意見の上澄みでしかありませんから。
往々にして、一人でやるべきものを複数人でやると、どうにもとっ散らかった印象になります。筋が荒いんです。完成したものを見て「なにこれ?」となっちゃうことも少なくありません。
他人に投げっぱなしのほうが、当人としても明らかに楽なはずです。それに、今よりも確実に多くのお金が入ってくるでしょう。それでもPさんは一人のまま、ゆっくりとコンテンツと共に歩んでいく道を選んだ。
コンテンツを一人だけで生み出していくことは、途方もなく煩雑で大変な作業です。しかし、だからこそ揺るがない「筋」を一貫させることができる。もちろん技量が要りますが、これほど理想的なコンテンツの形はないのではないか、と思うほどです。
ナナシスは確かに思ったよりも売れていないかもしれない。でも、他の売れているコンテンツにはない大きな魅力がある――それは、揺るぐことのない統一された世界観であり、楽曲であり、テーマ性なのです。そしてそのことを、生みの親であるPさんが他の誰よりもよく分かっている。だからナナシスは唯一無二で、素晴らしいコンテンツなのだと――胸を張って言いたいのです。
……これだけ語っといてなんですが、筆者はおもっくそニワカ支配人なのでした。
6thライブがあるのならぜひ初参戦したいですね。現場からは以上。